【はじめに】
日榮住宅建設株式会社の前身でもある「石田材木店」から品川に根付き約70年間、弊社では代表をはじめ品川に生まれ品川に育った従業員も数多く在籍しております。
子供のころから地域のお祭りや催事で様々な人とふれあい、地元に伝わる歴史や文化、伝統を大切にし、少しでも地域に貢献できるよう努めてまいりました。
毎年6月に行われる「品川神社例大祭」もその一つです。
今回はこの「品川神社例大祭」の歴史や、弊社との関わりなどについてお話していきます。
【『品川神社例大祭』とは…】
毎年、6月7日に近い金・土・日曜日に開催される品川神社のお祭りで、
別名「北の天王祭」とも言われます。
金曜日に例大祭神事、土曜日に町内神輿の連合渡御、日曜日に神幸祭と宮神輿の渡御が行われます。
宮神輿は、皇室の御慶事があった年には明治17年(1884)奉納の「大神輿おおみこし(通称・千貫神輿)」が、例年は大正13年(1924)奉納の「中神輿ちゅうみこし」が渡御します。日曜日には、正面の53段の石段を「惣町神輿(そうちょうみこし)」を担いで、昇り降りして宮出し・宮入りを行います。
お神輿の脇に大拍子(だいびょうし)を取り付け品川拍子を打ちながら渡御を行うので、縦棒は台座下の二本のみで、担ぎ手は前後に付けられた横棒を担ざます。その他の特徴として、お神輿の屋根に徳川家康公御奉納の「天下一嘗の面(てんかひとなめのめん)」の御神面をつけ、「品川拍子(しながわびょうし)」(品川区指定無形民俗文化財[風俗慣習])の拍子によってお神輿の進行は緩急をつけたり、上げ下ろしが行われます。
※品川拍子は「大拍子」と呼ばれる締め太鼓と、篠笛によって奏されます。
起源は慶長5年(1600)に徳川家康公がお神輿(葵神輿)を奉納された時とも伝えられていますが、現在伝承されているものは、明治時代中頃に嶋田長太郎氏が品川神社太太神楽と祭り囃子を加味して作曲・集大成したものです。現在は「品川拍子保存笛睦会」の会員により伝承されています。
品川神社HPより一部抜粋
一部ではありますが品川神社例大祭の歴史、伝統について記述させていただきました。
この歴史ある神輿や、伝統ある品川拍子を大人はもちろん子供でも楽しく参加できるように、町内神輿では大人神輿だけだはなく子供神輿や山車も出ます。
それに向けて各町内ではお祭り前に子供向けの太鼓の練習会などが開かれ、
たくさんの子供たちが参加してくれています。
【品川神社の宮神輿と日榮住宅建設の関わり】
先程記述のあった宮神輿、大正13年(1924)奉納の「中神輿」と日榮住宅建設株式会社には深い関りがあります。
まず、お神輿には進行方向に向かって縦棒と横棒が存在し、この横棒を担ぐのが「城南担ぎ」と言われています。
お神輿の胴の脇に括り付けられた大拍子と篠笛の拍子に合わせ、「ちょいちょい」という独特の掛け声と共に小刻みに激しく神輿をもむので、
主に品川区や大田区など東京湾に面した地域での独特な担ぎ方となっており、
その昔この地域は漁業やノリの養殖が盛んだったため、さざなみに揺れる小舟を表現したものと言われています。
この「城南担ぎ」、激しくお神輿をもむためトラブルも発生します。
昭和40年頃、お神輿の経年劣化のため、横棒を新しく入れ替えたそうですが、
城南担ぎの激しさに耐え切れず平成初期頃に横棒が折れてしまいました。
そこで、日榮住宅建設株式会社の前身である石田材木店に折れた横棒部分を直してくれないかと話しがあり、石田材木店でお神輿の横棒を入れさせてもらう事となりました。
その後、日榮住宅建設株式会社に変わった現在も品川神社と交流も続いております。
【最後に】
いかがだったでしょうか。
今年は6月に、4年ぶりの品川神社例大祭が行わました。一部ではありますが
品川神社と弊社の関わりについてお話をさせていただきました。
地域密着という形で地元の方との交流を大切に、その輪が少しでも広がれば幸いです。
大小問わずお困りごとがございましたら、是非、日榮住宅建設株式会社へお問い合わせください!!